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2014年2月5日水曜日

話にはよく聞くけど見たことないシーン立て続けに2つ見た。

・駅の構内にある、明らかに客向きではないコンセントに充電器をぶっさして携帯を充電している女子

・「おなかにあかちゃんがいます」バッジをカバンに付けている妊婦さん。おじさんに席を譲ってもらっているが、譲られた本人は全くの無言

どちらとも、第三者から見て、全く気持ちの良い光景でもなんでもなかった。それぞれの物や仕組みには目的ってものがある。例えば駅構内のコンセントは、駅構内を綺麗にするための掃除機を動かすため。将来設置される自動販売機のため。あかちゃんバッジは母子ともに健全な状態で出産するため。

コンセントについては言うまでもなく通りすがりの女の子が携帯の充電しながらLINEで楽しむためにあるもんじゃない。ちらっとその女の子の表情を見たが、普通なんですよね。何も思っていない。「コンセントがあるから充電してる」だけなんです。

あかちゃんバッジも一緒。席を譲ってもらうこと自体悪いわけでもなく、むしろそのためにバッジをつけてるわけだけど、ただ「バッジをつけたあなたが座るため」にあるんじゃなくて、お腹の赤ちゃんと妊婦の方に負担を与えないために座ることが目的である。そこには譲ってもらって当然の精神ではなくて、思いやりと感謝の精神が必要だと思うんです。

この二つの光景を見て、人って思考省略の達人だなと思うわけですよ。

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